The way he looks vol.38
こんにちは、塩沼亮潤です。
「お前たちに教えられることは何もない。後ろ姿から学びとってもらうしかないんや。」
これは、修行道場に入ったばかりの頃、お師匠さんから言われた言葉です。
当時はただ驚くばかりでしたが、今も時折ふと思い返して、その時その時で自分なりに解釈を深めています。自分の原点のときにお師匠さんが与えてくれたこの言葉の意味を、最近になってようやく「こういうことなんだな」と理解できるようになったように思います。
精一杯生きていれば、「どうして、なんで」ということにぶつかってしまうことは多々あります。ですが、私はオギャーと生まれてから56歳の今日にいたるまで、人を恨んだこと、憎んだことはありません。もちろん若い時は感情的になって、瞬間的に「どうして、なんで」と思ってしまうことはありましたが、自分の傾いた心の針をグイッとプラスの方向へ戻していました。
人を恨まない、憎まない。その基本だけは絶対に忘れてはいけない。
その学びを与えてくれたのは、親でありお師匠さんだったと思います。
私が本山で修行をしていたとき、寺内の人間がある人に失礼をしたことが発覚しました。お師匠さんは当時付き人だった私を呼び出し、「明日、その方の家へ行くから、段取りをしてくれ」とおっしゃいました。本山の管長がみずから足を御運びになって、私がいる目の前で正座をして額を畳につけて「この度は失礼なことをうちの者が言ったということで、申し訳ございませんでした」とその方へ謝罪をされました。
本当にすごい後ろ姿を目の当たりにしました。
その光景が、今では私の生涯の宝になっています。
どんなことが起きても、人を恨まない。すべての責任を自分でとる。
これがお師匠さんのおっしゃった「後ろ姿で教える」、ということだったのだと思います。
現在は私も人々へ教えを広めていかなければならない立場ではありますが、だんだんと経験を積むと、「教えを広める」ということすら作為的に感じるようになりました。
自分自身が人を恨まず、憎まず、明るく楽しい生活している姿から、自然に皆さんへ伝わっていけばいいなと思います。
原点にいただいたお師匠さんの言葉から、今月はふと、そんなことを考えました。
阿闍梨様・有難うございます。阿闍梨様の御姿を拝見しているといつもお師匠様の御姿をお逢いしたことはないのですか、彷彿とさせるものを感じます。謙虚に素直にたたづまいを正して居られるお姿はあの青年の時のお姿ではない誰かを想像させます。しっかり御師匠様を受け取っておられるのだなと感じるのは不思議です。それほどまでに信じあとをついていける人にお出会いになったことは何よりも宝だと想います。阿闍梨様に倣いたいと思いながらそうならない悲しさ!!心を磨きます。感謝合掌。❤️🙏